「他者を理解する」
2008年 05月 14日
ってどう言うことっすか?
私、
「君の話し方や言葉の選び方は他者を理解しようとしていないように聞こえる」
って言われました。
他者を、
「理解」なんて出来るんですか?
しかも言語を媒介にして、
どうしたら「自分」や「他者」を、
その本質を表せるんですか?
大体において、
自分を「理解している」なんて幻想(もしくは妄想)のように思います。
特に言語で自己を表現したその瞬間に、
「表現」されたはずの「自己」が失われるように思います。
私がそう感じる理由の一つは、
「言語」が「私の言葉」ではないからでしょう。
私は詩人や作家ではないので、
「言語」を媒介に自分が見つめているものや、
感じているものを、
真意を、
上手に(相手が感じ取れるように)表現できません。
そして、
「言語」では「足りない」と感じたことのない人間が、
「言語の使い方を知らない」幼児、
もしくは障害などによってソレを「習得できない」人達以外では、
言語を地域共通の意思疎通手段に用いている社会には、
まず存在しないことに人は気付いてます。
仮に存在しているならその人は「感情を知らない」のでしょう。
「愛してる」
の一言で常にその「想いの本質」が伝わるなら、
人は手を繋いだり、
抱きしめあったり、
キスをしたりする必要なんてないでしょう。
詩人や作家にとって「言語」が、
「彼らの言葉」になり得るのは、
使う側と使われる側双方が「手段」に選んだからではないでしょうか?
彼らが優れた詩人や作家なら、
「言語」はより「優れた言葉」、
「作品」になり、
「芸術」になり、
「美」になり、
「色」になり、
「感情」になり、
「生」になり・・・、
彼らが「言葉」を「作品」を世界に向かって放つ時、
その瞬間に「解釈」は、
受け取る側の感性に委ねられる。
人間以外の自然は存在自体が「言葉」そのもののような気がします。
「言語」で語らない彼らに対する解釈は、
最初からただひたすらにこちら側の感性に委ねられているのだから、
って長文になりましたけど、
要するに、
自己と他己の間に「理解」なんて存在し得ない。
と私は断言したいんです!!
それでもある人との間に「愛」が成立するのは、
言語も、
きっと言葉すら届かない、
そこにお互いを「震わす何か」があるからじゃないかと思います。
私、
「君の話し方や言葉の選び方は他者を理解しようとしていないように聞こえる」
って言われました。
他者を、
「理解」なんて出来るんですか?
しかも言語を媒介にして、
どうしたら「自分」や「他者」を、
その本質を表せるんですか?
大体において、
自分を「理解している」なんて幻想(もしくは妄想)のように思います。
特に言語で自己を表現したその瞬間に、
「表現」されたはずの「自己」が失われるように思います。
私がそう感じる理由の一つは、
「言語」が「私の言葉」ではないからでしょう。
私は詩人や作家ではないので、
「言語」を媒介に自分が見つめているものや、
感じているものを、
真意を、
上手に(相手が感じ取れるように)表現できません。
そして、
「言語」では「足りない」と感じたことのない人間が、
「言語の使い方を知らない」幼児、
もしくは障害などによってソレを「習得できない」人達以外では、
言語を地域共通の意思疎通手段に用いている社会には、
まず存在しないことに人は気付いてます。
仮に存在しているならその人は「感情を知らない」のでしょう。
「愛してる」
の一言で常にその「想いの本質」が伝わるなら、
人は手を繋いだり、
抱きしめあったり、
キスをしたりする必要なんてないでしょう。
詩人や作家にとって「言語」が、
「彼らの言葉」になり得るのは、
使う側と使われる側双方が「手段」に選んだからではないでしょうか?
彼らが優れた詩人や作家なら、
「言語」はより「優れた言葉」、
「作品」になり、
「芸術」になり、
「美」になり、
「色」になり、
「感情」になり、
「生」になり・・・、
彼らが「言葉」を「作品」を世界に向かって放つ時、
その瞬間に「解釈」は、
受け取る側の感性に委ねられる。
人間以外の自然は存在自体が「言葉」そのもののような気がします。
「言語」で語らない彼らに対する解釈は、
最初からただひたすらにこちら側の感性に委ねられているのだから、
って長文になりましたけど、
要するに、
自己と他己の間に「理解」なんて存在し得ない。
と私は断言したいんです!!
それでもある人との間に「愛」が成立するのは、
言語も、
きっと言葉すら届かない、
そこにお互いを「震わす何か」があるからじゃないかと思います。
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by noctiluca13
| 2008-05-14 06:03
| 景色