Valeが大好き☆な私の日常ですw


by noctiluca13
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

2008年 07月 30日 ( 3 )

自己:sexuality

 友達にはたまに「ど○態」とか言われます。
 過去に関係のあった男にも言われた事があるw

 そうですね、
 倒錯趣味がある事は確かだと自覚してます。
 人より多少サドっ気が強い事も、
 ついでに言うなら腐女子です。
 でも別に良いじゃんか。

 って、
 自分に対して言えるようになったのは実は結構最近。
 腐女子化したのは小学校高学年だから、
 かなり昔からそこに関しては別に、
 でも実際に体で男を知ってから、
 自分の快楽の行方が「大多数」のそれとはズレてるって、
 徐々に自覚して、
 正直ねぇ、友達との猥談で軽口叩いても、
 内側では悩んでる部分のが大きかった。

 だって、世間一般の「普通」じゃ何も気持ちよくないんだもん。
 相手の上手い下手の問題とか、
 愛情とか関係なしに、
 経験が増えるといっそう違和感が増して、
 一時期は「男がダメなのか?」とも考えたことあるんだよね、
 でも恋愛感情を抱く相手は必ず男だったから、
 少なくとも同性にいきたいわけじゃないんだとは思って、
 じゃぁ一体何が引っかかるのかを考えたら、
 パートナーに、
 「お前はあくまで女(受け入れる側)なんだ」って、
 行為を通して繰り返し自覚させられるのに対して抵抗があったんだよね。

 好きな相手にほど、
 私は何かを「されたい」じゃなくて「したい」って感じる。
 でも「~して」って要求されるとすごく冷める。
 求められる事自体が嫌いなんじゃなくて、
 対等性を保たせてもらえないのが嫌いなんだと思う。
 一番生々しい触れあいの中で、
 生理的な問題としての「男」と「女」の差はそのままに、
 日常の中染み付いてしまった社会的な「男女差」から、
 その時くらいは開放されていると実感したいんだよね。

 まぁ、私の場合それだけじゃなく、
 趣味もちょっと偏っているからorz
 好きな相手にそれをさらけ出すのってすげー勇気いるんだけど・・・ 
[PR]
by noctiluca13 | 2008-07-30 19:20 |

おばあちゃんに

 「人を描くのが好きなのねあんた」
 って言われた。

 好き嫌いで分けたら、
 私は本当は花とか虫とか動物を好きだと自分では思ってる。
 特に花には魅せられる。
 でも花を見る時、
 描きたいと思うのは実際の姿形というよりは、
 放っている芳香の方で、
 花をスケッチしている間は集中しすぎて、
 ふと気付くと目の前の花に話しかけていて、
 冷静に考えると危ない人臭いので、
 正直人には見られたくない・・・w

 紙と鉛筆、
 支持体と筆と絵の具を媒介に、
 花や虫と何かを共有できる気がする。
 それは、
 ただその場に、
 同時点に「在る」って事実そのものかもしれないし、
 とても説明しがたいけど、
 でも近くなれる気がするんだ。
 その感覚は顕微鏡で培養して染色した微生物や、
 植物細胞の断片を観察する時のそれとは違って、
 もっと、
 同化してく感じで、
 単純に心地よくて、
 気付くと話しかけてるww

 おばあちゃんが「好きだねぇ」と言ったのは、
 人物画を頻繁に描いているから、

 人物画とは言っても特定の誰かを描く事はほとんどしない。
 気に入った雑誌の写真を元にすることはたまにあるけど、
 目の前の誰かを描く事はしない。
 絵にする対象として、
 実在の人間に、
 私は花より興味がないんだと思う。

 人を描こうと持ったら、
 誰かを描こうと思ったら、
 一枚の絵なら具象的なものは描けない。
 抽象的な、
 形も掴めない様な絵になる。

 欲を言えば、
 描きたい人が一人だけいる。
 叶うならその人の絵だけを何枚も描き続けたい。
 細かく変化する感情を追いかけて、
 究極的には、
 その人以外の誰かを具体的なモデルとして、
 目の前にして描いたりしたくない。
 その人以上に興味を抱いている相手が存在しないから、
 花を前にした時のような「没頭」は出来ないとわかっているから、

 だから私は人物画に関しては脳内のイメージばかりを描いてる。
 特定の誰かじゃなく、
 あくまで「感情」の表現手段として、
 「表情」を使う。
 「人を描くのが好き」なんじゃない。
 「感情を描き止めるのが好き」なんだよ。
[PR]
by noctiluca13 | 2008-07-30 18:45 | art

啓蒙書って好きだなぁ

 最近、卒研とか個人的な興味とか相まって、
 科学関係の啓蒙書を読む機会が増えているんですけど、
 もっと早くに、
 10代の頃に、
 こういう類の本を読んでいたら、
 大学進学の際の選択を別の形でしていたかもなって、
 ふとそう思いました。

 啓蒙書の中には「似非本」も多いと思う。
 良書の選択って難しい。
 やっぱりネット上のレビューを頼る事もそうだし、
 可能なら図書館とかで実際手に取って斜め読みして、
 著者の意図を汲む事をするべき。
 
 まぁ、科学に関しては、
 実績(功績)から世界的に高い評価を得ているような人が、
 真摯な態度で書いた本であれば、
 購入して読んでも損はしないと思うけれど、

 ただ、
 科学は分野が広いから多角的な視点って言うのは失うべきじゃない。
 「~科学」って名前がついているそれぞれは、
 利便性の問題か専門性追求の問題か、
 それこそ立場によるのかもしれないけれど、
 カテゴライズされていても切り離されているわけじゃないから、
 「~科学」の「~分野」の専門家は、
 自分が専門に研究している分野とは一見関係ない分野にも、
 一流であるほど見識が広いと思う。

 凝り固まった思考じゃ新しいこと、
 革新や前進はできないからね。
 
 私は大学を卒業後、
 今のところどの分野でも科学者になる気はない。
 興味を失ったんじゃなくて、
 他の事への関心のが強いからって言うのが理由だけど、
 啓蒙書を読んでいると、
 または科学の良書に出会うと、
 今やりたいと思っていること、
 実際には向き合って戦っている最中の夢を、
 満足行くまで追いかけたら、
 もう一度立ち戻って、
 院に行くなり、
 専門を変えて大学に再入学するなりしてもいいなって、
 ちょっと思う。
 
 
[PR]
by noctiluca13 | 2008-07-30 18:04 | 読書